朝倉 利文

所属
顧問
資格
宅地建物取引士, 上級相続支援コンサルタント, 家族信託コーディネーター, TOEIC840点
趣味
ゴルフ, 水泳, 大河ドラマ, 笑点

身内の相続で悔しい思いをしました。
相続を勉強してから相続に強い税理士、弁護士、
司法書士は一握りしかいないことを知りました。
知っている・知っていないの差は大きいです。

マルヨシ通信掲載記事

私のふるさと(マルヨシ通信No.51)

 私は神奈川県小田原市国府津というところで生まれ育ちました。目の前に大海原の相模湾、後方に箱根山や富士山がそびえ風光明媚にして人心穏やかなのんびりした街です。東京に比較的近く温暖で海に臨む立地より、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜や早稲田大学の創始者大隈重信など有名人の別荘が幾つかあります。また島崎藤村や菊池寛など昔の文人の作品の舞台としても登場して来ました。小田原は車のナンバーこそ「湘南」ですが、茅ヶ崎、江の島、逗子と言うきらびやかな湘南の序列には入れて貰えず野暮ったさが残ります。

 茅ヶ崎ならば加山雄三、桑田佳祐など大スターが沢山出ていますが小田原は柳沢慎吾くらいが有名な芸能人です。私は物心付いた頃から小田原のゆったり、まったりした生活が性に合わず早く抜け出して海外に出たいと渇望する様になったのでそういう意味では故郷が反面教師と逆バネになったようです。



私がお奨めしたい癒しの地(マルヨシ通信No.35)



 約30年前、私はインドネシアのジャカルタに5年間駐在していました。私の仕事はバリ島のハヤットホテルの企画、開発、建設でした。ホテルは1990年にオープンしましたが、前職の会社は毎年配当を享受し未だに主要株主として名を連ねていることが私の秘かな誇りと喜びです。このホテルはハヤットの創業家も株主になっています。創業家が株主になるのは全世界のハヤットホテルで一割もないそうです。ホテルのプロ中のプロが選んだバリを私のお奨めしたい癒しの場所として選びました。海と山の自然、白砂の海岸、地元の文化、ゆったりとした時の流れなど世界第一級のリゾート地と言えます。

 ゴルフをされる方には世界50傑に評されている標高1500メートルのキンタマーニ山のゴルフ場をお奨めします。火口湖の周りのゴルフ場なので切り立った深緑の山肌に向かって打つ有様は幻想的な感じです。バリは心の癒しに最高です。


隠しておきたい私のプチ自慢!(マルヨシ通信No.19)

 長く生きて来たので色んな経験をして参りました。前職は商社で働いていましたので世界50カ国65都市に足を踏み入れたことがあります。20代にはボリビア、ペルー、ブラジルなど中南米によく出張していました。仕事はセメントプラントの輸出で成約出来るまで帰って来るなという本社からの命令で何ヶ月も現地に滞在していました。
  
 世界最貧国の一つであるボリビアには半年近く滞在しました。日本人がおらず、日本食もなく、圧倒的な孤独の中で全て自己管理でやるしかありませんでした。今から35年くらい前ですから同国にはクレジットカードなどなく全て現金決済でした。一度、本社からの送金が届かず財布に数百米ドルしか残ってない時がありました。
 
 その時は小鼠が床をはっている一泊千円くらいの宿に移り、朝昼晩スープとパンだけで過ごしました。送金が届いた時は涙が出るほど嬉しくて一人で豪華なステーキを食べた事
を覚えています。私のプチ自慢は「忍耐強さ」でしょうか。




スタッフ紹介(マルヨシ通信No.7)
 

 私は前職で海外不動産開発の仕事を長い間やっていました。2年前に小山社長に誘って頂き当社で働き始めましたが、仲介営業の仕事は出来ない、電話の応対は出来ない、運転は出来ないなど5重苦以上のダメ人間でした。ところが、環境が変わって相続や資産管理のセミナーを開催したり、情報紙を発行したりする支援部隊の仕事が急に増えて来て、現在は僅かながら会社に貢献出来ているのではという実感があります。

 理屈っぽいところがありますので数字や法律文書相手のじっとこもる根暗な仕事には抵抗ないですが、根っこは浪花節の世界を好む人間です。
 
 世間ではグローバル化が声高に叫ばれていますが、昔一緒に苦楽を共にして事業を遂行して来た海外の友人とは未だに親交があります。
 論理性と効率性の世界で育ちましたが、世界中どこでも最後の掴みは義理、人情、浪花節だと思います。
 趣味は月並みですがゴルフです。健康維持が主目的で仲間との交流が楽しいです。

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